日田彦山線は、福岡県北九州市と、大分県日田市を結ぶ、営業キロ68.7キロ、非電化単線のローカル線です。
しかし、細かく見ると、起点の城野駅からしばらくは北九州市のベッドタウン鉄道、北九州市の南端部から筑豊にかけては以前は石灰石や石炭の積み出し線として賑わった面影が残り、筑豊の山間部に分け入り終点の大分県夜明駅にかけては山間の純ローカル線なると変化に富んだ路線です。
今回は、北九州市小倉南区の石原町駅から田川郡香春町採銅所駅にかけての沿線風景を紹介したいと思います。この区間には、かつて石灰石の積み出しで賑わった石原町駅、峠のスイッチバック駅であった呼野駅、峠を金辺(きべ)トンネルで抜けて筑豊に入り最初の駅となる山間の採銅所駅、また、石原町からは、廃止になりましたが三菱鉱山(現在の三菱マテリアル)東谷鉱山への石灰石運搬用専用線がありました。
1 はじめに
2 石原町駅
1915(大正4年)年4月この区間が開通したときからある駅です。
駅舎も、外装の塗り替えなど改装や増築が行われていますが、開業当時からの駅舎となっています。
「石原町駅常備」と記された石灰石運搬貨車をご存じの方も多いと思いますが、かつては日本有数の石灰石積み出し駅でした。
駅舎内部の天井は、なかなか凝ったデザインとなっています。
現在の構内は2面3線の配置となっており、上下各26本の普通列車が停車しています。駅構内の広さからすると、側線は2〜3本のみではなかったかと思われ、想像していたより広くなかったのだと感じました。
ただ、呼野方には、東谷鉱山への引込線が分岐していたこともあってか、2線分の敷地が続いていました。
このあたりには、まだ北九州市のベッドタウン化は押し寄せていないので、駅前の風景ものんびりしています。
駅員1名の有人駅ですが、50歳代後半と思われる駅員さんにお話をうかがったところ委託駅であることがわかりました。それも貨物取り扱いをしていたころは、JR九州ではなくJR貨物の委託駅だったとのことです。撮影途中に停車した列車の乗降客も休日ということもあってか2、3名と少なく、近所の牛乳配達のおばちゃんが、駅員さんとのんびり長話をしていました。駅から呼野方左には、東谷鉱山の石灰石山?がそびえています。
駅名標は、ご覧のとおり、JR九州・国鉄・国鉄行灯式と3種類が揃っています。また鋳物の駅名板も健在です(なぜか、国鉄型だけ、構内敷地の柵の外側にありました)。
3 東谷鉱山専用線
(左)志井方 (右)呼野・東谷鉱山方、車両はキハ47型1000番台
かつてDD51が、ホキを牽引して走っていました。石原町を呼野方面に向かい、しばらくは日田彦山線と併走し、途中で左にカーブして東谷鉱山へ向かっていました。
石原町駅からは、敷地だけが残っていると思っていましたが、呼野方の木下踏切から見たら、しっかり線路も残っていました。
木下踏切から石原町方を撮影。勿論(右)が専用線跡です。
しばらく呼野方向に行くと旧国道322号線がアンダークロスしていますが、専用線鉄橋は健在でした。
石原町から約1キロの地点。手前が専用線です。
さらに進むとレールは左にカーブして、東谷鉱山に向かっています。
残念ながら、カーブする地点でレールは撤去されていました。
もしかしたら、ここまでがJRの所有地なのかもしれません。
石原町から約1.3キロの地点。正面の勾配標識は、日田彦山線のものです。
その後も、路盤は東谷鉱山へと続いています。この先は、築堤となっていて、東谷鉱山へ築堤はダイナミックに右にカーブしていました。
東谷鉱山を正面に望む、旧国道322号線小森?踏切から撮影
築堤の右カーブ地点は、国道322号線バイパスで無惨に切断されていました。バイパスの左に目をやると、築堤は残っていますが、道路となっていていました。
ただ、しばらくすると道路は築堤を離れ、また線路跡となって東谷鉱山敷地に入る様子が遠望できました。
両写真とも、右が石原町方。
4 呼野駅
日田彦山線は、起点の城野からここ呼野までが北九州市です。かつては、筑豊への金辺峠を越えるためスイッチバック駅となっていましたが、約20年前に本線上に1面ホームを設置してスイッチバックは解消されたようです。
現在は、駅舎もなく、全く殺風景になりましたが、スイッチバックの跡などを探してみました。
国道322号線から少し高台に上ったところに呼野駅はあります。
国道322号線小倉方向を撮影。正面の上り坂先が呼野駅
駅舎跡には何もありません。せめて簡易駅舎くらい作れば?って思うのですが。
右が石原町方。奥は本線ホーム
スイッチバック駅の構内は2面ホームだったようです。両ホームの間隔がかなりあるので中間にもう1線あったと思われます。
下は旧2番ホームの跡です。旧1番ホームより少し採銅所方にあったようです。
1線だけ線路が現存していますが、使用されている形跡はありませんでした。
(上)スイッチバック駅構内。奥が石原町方。左が現1番ホームで唯一残っている線路は旧2番ホームのもの。
本線からの分岐の様子です。右の本線からの写真の方がわかりやすいかも知れません。勾配上のスイッチバック駅ですから、写真で言うと本線の左側あたりに引き上げ線があったのではないかと思いますが、採石場の私有地となっているみたいで、詳しく探すことはできず、見つけることはできませんでした。
(左)旧1番ホームから、(右)現1番ホームから石原町方を撮影
旧構内の末端部分から本線上をみたところです。
末端の先は、そのまま民家の庭?畑?になっていましたが、車輪止めなどは見つけることができませんでした。
金辺峠を駆け下りる城野行普通列車。右が城野方
駅名標
(左)JR九州型で現1番ホームのもの
(右)国鉄型で旧1番ホームのもの
5 金辺トンネル
筑豊から外に出るためには、遠賀川沿いを下る以外は、全て峠を越えなくてはなりません。鉄道も例外ではなく、福岡方面への篠栗(通称福北ゆたか線)線、久留米方面への筑豊(通称原田線)線、行橋方面への平成筑豊鉄道、日田方面への日田彦山線、そして小倉方面への同じく日田彦山線。その小倉と筑豊を結ぶ峠である金辺峠を貫く金辺トンネルの小倉側入口を撮影しました。
金辺トンネルの小倉側入口へは、国道322号線の金辺トンネル手前を左に下る細道を利用しました(写真左)。
トンネルの真上は、降りてきた細道と小川が渡る橋がありますが、いかにも鉄道施設といった風情があります(写真右)。
金辺トンネル入口です。前述の橋の上から撮影しました。
なんかいびつな形。複線用でもないし・・・右側に妙に間隔があるのは何でなのでしょう?
金辺トンネル入口。下は、トンネルに進入する普通列車。
とても100万都市とは思えない自然いっぱいの風景。
紅葉にはまだ少し早いようですが、この日の北九州は前夜はみぞれがふったりしてとても寒く、福岡・大分県境の英彦山では、雪で頂上付近が真っ白になっていました。
ちなみに「ひこさん」の漢字は、線名・駅名は日田彦山線・彦山駅ですが、山の名前は英彦山と書きます。
6 採銅所駅
1915(大正4年)年4月この区間が開通したときからある駅です。
石原町と同じく、駅舎も、外装の塗り替えなど改装が行われていますが、開業当時からの駅舎となっていて、よく似た造りになっています。
ただ、こちらは無人駅です。
駅名の看板だけが、ウッディですが新しいものになっていました。
また妻面の細工がおもしろい形です。
(左)天井 (中央)出札窓口跡 (右)洗面と井戸跡
天井の造りも石原町とよく似ていますが、中央の飾りが、石原町より高級感を醸し出しているかなという気がします。
無人駅ですので、窓口は閉鎖され、代わりに自動券売機が置かれていました。
また駅舎の右には井戸の跡があるのが珍しかったです。
構内の様子です。
2面2線ですが、対面式のホームではなく、背を向けた形になっていました。
峠越えの呼野方へは、上るといった感じではなく、ここからいったん下って、国道322号線をアンダークロスして、そのまま人工の切り通しをトンネルに進入するような感じです。
麓の香春方へは、短いトンネルをくぐり下っていきます。
(上)呼野方 (下)香春方
山間ののどかな駅といった風情です。
(左)香春方へ向かう普通列車 (右)駅から見下ろした集落
駅名標はJR九州タイプはありませんでした。
撮 影 後 記
今回は、北九州市内から手近に行ける山間の静かなローカル駅を取り上げてみました。
ご覧になった皆さんは、金辺トンネルの採銅所側入口がないのに???かも知れませんが、実は、ちょっとしたトラブルで撮影できませんでした。
それは、入口付近は谷間の段々畑になっているのですが、その付近の道路は、全て地元の土地改良区の所有で私道だったのです。綺麗に舗装された道で、公道だろうと思い込み、自家用車で入っていったところ、作業中の地元の方から私有地との指摘を受け、立ち入りを拒否されました。非礼をお詫びして、許可していただこうとしたのですがだめでした。仮に公道だとしても地元の方には、一言ご挨拶して立ち入るべきだったと反省しました。
北九州近郊の山間ローカル線
(写真は全て2002/11/9撮影)
日田彦山線(石原町〜採銅所)